今回は、長野県の名城を巡りました。
最初に行ったのは龍岡城五稜郭です。本当は予定には入っていなかったのですが、小諸城へ行く途中で立ち寄れる距離とのことで急遽目的地に加えました。
ここは、日本で2つしかない星型の堀を持つ五稜郭。函館にあるものは非常に有名ですが、こっちは殆ど知られていないのではないでしょうか。
上空から見ないとよくわかりませんが、堀を見るとやはり独特の角度になっています。
ちょっと離れた場所にある北の入り口。枡形の石垣が残っています。
本丸跡は小学校になっており、校庭には唯一の現存建築物として御台所が建っています。
しかし、この日は何か学校行事でもあるのか校庭に続々と車が。。。学校の中をカメラを持ってうろつくのは誤解を招くので早々に次の城に。
最近復元された小諸城大手門。なかなか立派です。
2階部分は内部を見学することができ、資料などが展示されていました。
三の門。小諸城は現在懐古園と呼ばれる場所になっており、徳川家達の筆と言われる額が飾ってあります。
北の丸跡には、弓道をしているおじいさんが。観光客向けのパフォーマンスなのかどうかわかりませんが、なかなか風情がありますね。
本丸に続く黒門橋。
本丸付近は懐古神社になっています。境内は綺麗に整備され、山本勘助愛用の鏡石なども置いてありました。
天守台の石垣。こうしてみると大した高さでは無いようにも見えますが、上から見下ろすとかなりの高低差を実感できます。
地獄谷。この断崖絶壁はなかなかのスケールでした。
つぎは上田城へ。
今回の城巡りで最も観光客が多い城でした。
東虎口櫓門と南北の櫓は内部を見学できます。
本丸跡。
ここは特に何も残っていません。
真田神社。
おそらく真田幸村ファンと思われる若い女性もいっぱいいました。
唯一の現存建物であるという西櫓。
昼食処を探している途中に立ち寄った藩主屋敷跡。ここも学校になっています。
昼食後は、思いつきで次の目的地の途中にある荒砥城へ寄ることに。
二の郭に立つ櫓と兵舎(?)。
櫓からの風景。
素晴らしい眺めです。
本郭部。
あっさりしてますが、それがまたいい感じです。
NHK大河ドラマのロケ地としても使われたそうで、確かに非常に「イメージ通り」の風景ですね。
寄り道ばかりでスケジュールが押し気味になってきたので、非常に名残惜しいですが次へ。
最終目的地の松代城。海津城という名前のほうが有名ですね。
しかし、ここでゲリラ豪雨に遭遇。とてもゆっくりと見学出来る状況ではなくなりました。。。
本丸。
晴れていれば非常に見どころのある場所だと思いますが、雨が止まないのと時間も押してきたので早々に撤収することに。無念ですが、また来たいですね。
帰りに川中島の合戦で有名な八幡原史跡公園へ。
松代城から大した距離は無いのに、こっちは雨が降っていませんでした。ありがたい話です。
八幡社の境内にある、有名な信玄と謙信の一騎打ちのシーン。
さすがに一日で5城廻るのは時間的に限界ですね。
ページビューの合計
2011年8月28日日曜日
2011年8月21日日曜日
城巡り番外編3 ~大丸城~
今日は天気がいまいちだったので、手っ取り早く近場の城跡に行ってきました。
稲城市にある、大丸城です。
まずは大丸公園へ。
公園の全景。こじんまりとしていますが、それなりに整備されています。
公園の中にぽつんと石碑がありました。「女満別の森」?どういう意味でしょうかねぇ。
あとで調べたところ、稲城市と女満別町(今は大空町)は姉妹都市だそうです。
女満別から送られた木が植えられているといったところでしょうか。
公園からちょっと離れたこんな場所に大丸城跡の説明板があります。事前に調べておいたのでなんとか見つけられましたが、普通気づかないですね、こんなの。
ここが実際の大丸城跡とのこと。今は住宅街のど真ん中。城の遺構は跡形もありません。
ちょっと残念ですね。
帰り道に不思議な場所を発見。「十の丸」という石碑と怪しげな階段が。しかし、十の丸って・・・明らかに城の遺構ではないですね、これは。
階段を登るとこんな場所に出ました。本当の城跡じゃないことはわかっているのですがなんとなく雰囲気は出てます。
更に進むと「九の丸」を発見。これはいったい。。。
やはりありました「八の丸」。そばには小さな池が。
さらに奥にはちょっと開けた場所があり、階段が続いています。
思いのほか急な山道を登って行くと、ようやく頂上らしき場所に到着。
ここが城山の頂のようですが、あったのは三角点のみ。まあ実際の城山ではないので期待はしてませんでしたが、、、若干虚しさが残ります。
気を取り直して山を降ります。
先に進むとこんなところに「七の丸」が。しかし、なぜか壁にショベルカーのバケットが。。。謎は深まるばかりです。
もうこうなったら一まで全部探すしかありません。
「六の丸」はこんな感じ。どうやらこの手のオブジェに番号をつけているようですね。
なんと「五の丸」は展望台でした。
しかもこの展望台、オブジェじゃなく実際に登れるようです。
ただし今回は閉鎖されていて登れず。。。
ちなみに正式名称は「ファインタワー」。日曜・祝日のみ登れるとのこと。
どうせならここを本丸に見立てて、天守櫓とかいう名称にすれば良いものを。。。
五ノ丸の下が「四の丸」でした。ここには特に何もなし。しかし何かと予想を裏切られますね。
「三の丸」はこんな感じの場所。この象にはどんな意味が・・・
しばらく探しまわった末に、ようやく「二の丸」発見。まさか公園の外側の壁画とは。。。
ついに「一の丸」に到着、、、って本丸ではなくて一の丸なんですね。どうやら一から十まで辿ることでここ(城山公園)から大丸公園までの見学ルートになっているようです。
もはや城跡とは殆ど関係ない散策になってしまいましたが、それなりに楽しめました。
稲城市にある、大丸城です。
まずは大丸公園へ。
公園の全景。こじんまりとしていますが、それなりに整備されています。
公園の中にぽつんと石碑がありました。「女満別の森」?どういう意味でしょうかねぇ。
あとで調べたところ、稲城市と女満別町(今は大空町)は姉妹都市だそうです。
女満別から送られた木が植えられているといったところでしょうか。
公園からちょっと離れたこんな場所に大丸城跡の説明板があります。事前に調べておいたのでなんとか見つけられましたが、普通気づかないですね、こんなの。
ここが実際の大丸城跡とのこと。今は住宅街のど真ん中。城の遺構は跡形もありません。
ちょっと残念ですね。
帰り道に不思議な場所を発見。「十の丸」という石碑と怪しげな階段が。しかし、十の丸って・・・明らかに城の遺構ではないですね、これは。
階段を登るとこんな場所に出ました。本当の城跡じゃないことはわかっているのですがなんとなく雰囲気は出てます。
更に進むと「九の丸」を発見。これはいったい。。。
やはりありました「八の丸」。そばには小さな池が。
さらに奥にはちょっと開けた場所があり、階段が続いています。
思いのほか急な山道を登って行くと、ようやく頂上らしき場所に到着。
ここが城山の頂のようですが、あったのは三角点のみ。まあ実際の城山ではないので期待はしてませんでしたが、、、若干虚しさが残ります。
気を取り直して山を降ります。
先に進むとこんなところに「七の丸」が。しかし、なぜか壁にショベルカーのバケットが。。。謎は深まるばかりです。
もうこうなったら一まで全部探すしかありません。
「六の丸」はこんな感じ。どうやらこの手のオブジェに番号をつけているようですね。
なんと「五の丸」は展望台でした。
しかもこの展望台、オブジェじゃなく実際に登れるようです。
ただし今回は閉鎖されていて登れず。。。
ちなみに正式名称は「ファインタワー」。日曜・祝日のみ登れるとのこと。
どうせならここを本丸に見立てて、天守櫓とかいう名称にすれば良いものを。。。
五ノ丸の下が「四の丸」でした。ここには特に何もなし。しかし何かと予想を裏切られますね。
「三の丸」はこんな感じの場所。この象にはどんな意味が・・・
しばらく探しまわった末に、ようやく「二の丸」発見。まさか公園の外側の壁画とは。。。
ついに「一の丸」に到着、、、って本丸ではなくて一の丸なんですね。どうやら一から十まで辿ることでここ(城山公園)から大丸公園までの見学ルートになっているようです。
もはや城跡とは殆ど関係ない散策になってしまいましたが、それなりに楽しめました。
2011年8月11日木曜日
城巡り7 ~川越城・岩槻城・蕨城~
せっかくの夏休みなので、近場の城跡を巡ってきました。
最初に行ったのは日本100名城の一つ、川越城です。
これが本丸御殿。「東日本唯一の本丸御殿遺構」とのことですが、確かに本丸御殿が残っているのは珍しいですね。
道路を挟んだ反対側には本丸門跡という石碑が。残念ながら門自体は跡形もありません。
本丸御殿内の廊下。なかなか風情があります。
こちらは家老詰所。何やら忍者でも出てきそうな雰囲気です。
家老詰所から見た中庭の風景。心が和みますね。
こちらはちょっと離れた場所にある、中ノ門堀跡。最近復元されたそうですが、周りは普通の民家、、、ちょっと不思議な空間になっていました。
堀の一部もそれなりに復元されていました。
次は、岩槻城へ。あまり有名な城ではないですが、結構立派な城だったようです。残念ながら本丸があった城の中心付近はすべて住宅地になっており、跡形も無いようです。
現状、新曲輪と言われていた場所の大半は野球場になっていますが、残りの部分と鍛冶曲輪と呼ばれていた部分が岩槻公園として当時の面影を留めています。
鍛冶曲輪の奥に「白鶴城址碑」という石碑がひっそりと建っていました。岩槻城の別名なのでしょうか。
蓮の花が咲いている小さな沼地。赤い橋が架かっていて、なかなかの景色です。
八ッ橋という有名な橋らしいのですが、震災の爪痕がこんなところにも。。。無念です。
沼地の周りにはこんな感じの空堀があり、ぐるっと散策することができます。
これは堀障子の跡だそうです。山中城と同じく後北条氏の築城技術との看板が建っています。
どうやら埋戻してしまったようなので、看板が無いと気が付きませんね。
道灌橋。空堀の上にかかっており、それなりにいい雰囲気です。
ちょっと離れた場所にある「黒門」。どこの門かは不明とのことですが、貴重な現存遺構だそうです。
これは「裏門」。これもどこの門だったのかは不明で、門だけがぽつんと移築されています。
あまり期待はしていなかったのですが、岩槻城は結構楽しい場所でした。
時間が余ったので、予定にはありませんでしたが、もう一城行ってみることに。
蕨城です。遺構は殆ど残っておらず、城址公園があるのみです。
本丸と思われる部分には芝生が植えられており、綺麗に手入れされています。
奥にはそれなりに立派な石碑が。
城とは全く関係ないですが、本丸の片隅にこんなブロンズ像を発見。。。「成年式発祥の地」とあります。
あとで調べたところ、成人式の始まりは蕨市からだとか。いい勉強になりました。
最初に行ったのは日本100名城の一つ、川越城です。
これが本丸御殿。「東日本唯一の本丸御殿遺構」とのことですが、確かに本丸御殿が残っているのは珍しいですね。
道路を挟んだ反対側には本丸門跡という石碑が。残念ながら門自体は跡形もありません。
本丸御殿内の廊下。なかなか風情があります。
こちらは家老詰所。何やら忍者でも出てきそうな雰囲気です。
家老詰所から見た中庭の風景。心が和みますね。
こちらはちょっと離れた場所にある、中ノ門堀跡。最近復元されたそうですが、周りは普通の民家、、、ちょっと不思議な空間になっていました。
堀の一部もそれなりに復元されていました。
次は、岩槻城へ。あまり有名な城ではないですが、結構立派な城だったようです。残念ながら本丸があった城の中心付近はすべて住宅地になっており、跡形も無いようです。
現状、新曲輪と言われていた場所の大半は野球場になっていますが、残りの部分と鍛冶曲輪と呼ばれていた部分が岩槻公園として当時の面影を留めています。
鍛冶曲輪の奥に「白鶴城址碑」という石碑がひっそりと建っていました。岩槻城の別名なのでしょうか。
蓮の花が咲いている小さな沼地。赤い橋が架かっていて、なかなかの景色です。
八ッ橋という有名な橋らしいのですが、震災の爪痕がこんなところにも。。。無念です。
沼地の周りにはこんな感じの空堀があり、ぐるっと散策することができます。
これは堀障子の跡だそうです。山中城と同じく後北条氏の築城技術との看板が建っています。
どうやら埋戻してしまったようなので、看板が無いと気が付きませんね。
道灌橋。空堀の上にかかっており、それなりにいい雰囲気です。
ちょっと離れた場所にある「黒門」。どこの門かは不明とのことですが、貴重な現存遺構だそうです。
これは「裏門」。これもどこの門だったのかは不明で、門だけがぽつんと移築されています。
あまり期待はしていなかったのですが、岩槻城は結構楽しい場所でした。
時間が余ったので、予定にはありませんでしたが、もう一城行ってみることに。
蕨城です。遺構は殆ど残っておらず、城址公園があるのみです。
本丸と思われる部分には芝生が植えられており、綺麗に手入れされています。
奥にはそれなりに立派な石碑が。
城とは全く関係ないですが、本丸の片隅にこんなブロンズ像を発見。。。「成年式発祥の地」とあります。
あとで調べたところ、成人式の始まりは蕨市からだとか。いい勉強になりました。
登録:
投稿 (Atom)